おしらせ

2018-04-01 19:46:00

晩年に億万長者、さてどう変わる?

 「畦燃やしを、米作っている人たちでやることになったので来てくれる」。と数日前に付きあいの深いIさんからの依頼、その地区は共同で水路の管理をやれなくなって10年位になる、以前は真夏の最盛期でも炎天下の中、年よりたちが草刈り機やクワを使い半日作業をこなし、昼からはうな丼を食い宴会となった、みんな元気だった。その後、担い手が減り、委託作業として真澄農園で引き受けていたが、水はけが悪く、機械作業の困難な半分の地域は急速に休墾され、うちの仕事もなくなった。 久しぶりの共同作業の復活と思い、何なんだろうと、とても思い深く参加した。 当日小雨と強風の中、今後の予定の都合で強行された、簡単な作業だったら俺一人で参加のつもりだったが、人出はほしいと感じられたので、ユウ夫妻を参加させた、その縁の深い地区人たちには「跡継ぎ」として是非とも紹介しておきたかった。

 以前のあぜ燃やし作業とは違い、主要な幹線水路ワキをきれいにする事だった、これは部落の共同作業ではなく、土地改良区の役員の仕事だが、その地区の親方たちも、明日をもしれぬ年寄りが半数、後継者もいない。でも休墾田地区に流通センターが作られることが決まり、各家に1年以内に数千万、数億が入金される。今までもそれなりに土地関係で裕福なのに更なる大金が死に際に尾転がり込む、迷うだろうなぁー困るだろうなぁー、みんな昔より元気がない、みんなの状況判断を聞くと、半分の残った田んぼはこれから30年以上は開発は無いだろうとのこと。面倒な事はあいつらにやらせようかと呼ばれたのだろう。よござんすよ、OKです。

2018-03-17 20:29:00

  よかったねと、三省が迎えてくれた

 数年ぶりに「今日はお休み」と決めた先週の土曜日、午前中にはフナちゃんたちの水槽の大掃除、よどんだ水の中ではメダカが見えず、溶けちゃったのかしらと心配だったが、下の方でみんな生きていた。中の小石や水槽を洗い、魚たちを入れると元気に泳ぎだした。みんなきれい、朝の餌やりの時に見とれてしまう。ドジョウも大きくなったな。

 ドブロクを少し飲んだらコタツで昼寝、直売所の野菜の回収後、10年以上行かなかった図書館に、駐車場に入る時からなんかワクワク、カードを再発行してもらい、農業書を数冊選んだ時に閉館の音楽が、慌てて小説の棚に行ったが、時間的に無理だ、エッセイコーナーがあり軽く見渡すと、山尾三省の「ここで暮らす楽しみ」ドーンと光っていた。待ってくれていたかのごとく目に飛び込んできた。三省はもう他界したが、ヒッピー八百屋の大先輩であり、アミニズム哲学の巨匠でもある。屋久島に移り住み、まず多くの書籍を世に出した。一奏白子山という谷筋に暮し、そこには20世帯ほどの仲間たちが暮らしている。その住人の一人の女性はマサの若い頃からの友達であり先日もタンカンを送ってくれたところだ、まずは幸先いい出会い、あまりにも営農に籠りすぎていた、ここ数年、「あと少し、あと少し」と焦りすぎていた。「ゆっくりやらなきゃ」と呪文のようにいつもぶつぶつ考えながら「でも仕方なかぁ」と時は流れていた。今度の「肺炎」は誠に最高のプレゼントだった。

 昨日も2回目のお休み、確定申告の作業の合間に、たっぷり昼寝と読書、さて次の休みは考えるだけでワクワク。

2018-02-18 20:49:00

 

   肺炎は疲れるよ ほんと

 風邪ではなかった、「肺炎」だった。4日間9,5℃以上になり、ほとんど寝れなかったので、病院病院が東葛のERを紹介され、すぐにいろんな検査をし抗生剤等の点滴を毎日続け、後はひたすら横になっていた、ただ「糀」や鶏の面倒、直売所などの少しの仕事はある、一寸歩いただけでも、フラフラし熱もあがった。昨日からようやく高熱は収まったが、まだちらっと、微熱が出る、薬は1週間分出されたので、たぶんしつこいんだろう、でも今日は久々に外で働いてみた。一転の曇りない青空、風もなく暖かい、一寸動いても息が上がらない、家の薪の在庫もつきたので、太い木の玉切り作業をすることにした。何本は切り、家に運び、薪割りをし、数日分の用意はできた。コタツに入ると、すうっつと眠れる、やはり微熱が上がる。やはり無理はできないな、少しずつ無理ない程度に働いていくべ。

 点滴に通うと、まず血圧を測るが、毎日低くなり、3日目は100以下だった、脇の肉が少なくなり、体温計をうまくはさめなくなった、血液検査でも筋肉を溶かしている数値が上がっているのを先生は心配していた。確実に体力の低下が見て取れ、食べなきゃヤバいと初めて思った。マサも肉を食べなさいと料理してくれる、何とか通常の7割位は食べられるようになった。もう少しだ。1週間、全てを任せていた収穫作業、明日からは少しづつ参加するべ、だいぶ野菜たちの様子も変わっただろう。ともかくぶり返したら元も子もない、10年前とは違う、もう老人だということをじかくしなくてはね。情けねえが、仕方中。

 

2018-01-31 21:25:00

 

   極寒の中 希望への苦悩

 この一週間の寒波はさすがに身に沁みる、ここ数年つま先のカイロを使ったのは数日だが、毎日必要、ごっとんトイレの便座は電気で暖かいが隙間風でケツが冷たい。何より雪が解けないので、埋もれている野菜の収穫は大変、雪前に急いで収納したものもなくなりそう、ヤギも四日間、小屋の中なので、可愛そうで今朝は雪解け場所を探し回わり、ヤギたちも嬉しそうだった。極寒の中でももうトマトやナスピーマンたちがハウス内の電熱温床で発芽している、暖め過ぎると弱い苗になるのでトンネルの開け閉めは小まめにしなければ、そして一回忘れれば、一晩で全滅だ。この作業は3月半ばまで毎日の仕事、数十種類の苗はそれぞれに成育温度が違う、気の抜けない日々が続く。そしてこの時期は「糀屋」仕事と重なる、もし新しいスタッフがいなかったら、今頃は完全にぱにくって様々なミスを誘引していただろう、でも1週間前からユウタロウが働き出した。二十歳から5年間の各地での農業経験はさすが、勘所を知っているので、まだ数日ではあるが、毎日新しいことを伝える事が楽しい、辛い仕事もめげないしひるまない、ただ計算や書面類は苦手そうだ、明日運河での朝市がある、販売の初経験だ、どうなるかな。でもこの一週間で先のめどが立ち、何とか小まめに作業がこなせているし、気持ちも非常に楽になった。 でもでもでも、ユウタロウが決まった後に、身近な数人が名乗りを上げた、夕の嫁さんも入れなきゃならんし、規模拡大は必至だ、新しい展開へどうかじを向けるのか、懸命に考えなければいけない、嬉しい悲鳴だよね、まずは種を多めに注文だ。

2018-01-13 21:35:00

   富士山は迎えてくれた

 「富士山を見に行く」、娘二人はこの話にのった。毎年2日の朝は、4時ごろ出かけ、海や屋までご来光を仰ぎ、名高い寺社を参拝し昼過ぎには帰り、箱根駅伝の山登りを観るのが恒例となっている。年明けからはスタッフもいないし、子供らもついてこないかもと、年末まであまり計画も立てていなかったが、嬉しい誤算、以前、登った金時山や三つ峠付近を探していたら、富士展望の三大名所の足柄峠は、その城址後に車を降りて数分で行けるとのこと、ここだ。麻実とくるみ、くるのアイドル追っかけ仲間のユカちゃん、美大の大学院生、あと百姓仲間のコジ、早朝、西へと高速ひた走る、目の前にはスーパームーンのデカい月が、いい予感。峠に着き、10分もすると陽が登ってきた、後ろの雄大な富士山はその陽を受けとめ暖かそうに輝いている、両方に参拝した後、娘たちは富士山をバックに写真を撮っていた、その時、そこへオオタカが飛んできた、「あと、ナス!」と叫んだら、コジが「ボケナスー」と後ろに顔を出した。「なんかすごくねぇ」と騒ぎながら、さらに富士に向かってのドライブ、直下から仰ぎ見る嬉しさの中、世界遺産の浅間神社に到着。まずは駐車場探し、大きな寺社は初詣客で稼ごうと近所の空き地で呼び込み合戦が普通だが、ここは無い。多くの誘導員が広大な境内に案内し実の間に押し込む、無料。立派な社殿の前に参拝者が少し並ぶ、20人ほど集団が階段を登り参拝するまで、後ろは下で待つ、とても気持ちよく参拝ができた。下では振舞の樽酒参拝客に木槌で打ち開けさせていた、子どもも参加、「おもてなし」の極致、そうだよね、富士山だもの。

 

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